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私は現在大学2年生で、中学1年生から高校3年生まで拒食症に蝕まれていました。162cmのMAX55kgから36kgまで体重も落ち、生理も止まりました。周囲の人間に沢山の迷惑と心配をかけ、やっと回復することができたという経験をもとに、拒食症や健康について綴っていこうと思っています。

無月経治療

こんにちは、ほっこりんです。
私は中学生1年の1月から拒食症で生理が止まりました。
拒食症がバレたのも産婦人科で生理不順の改善をしていた中、
体重の減りが激しいと指摘され、大きな病院へ紹介されたからです。
 
その時の私のヘモグロビン量は4g/dlで、立っているのが不思議なくらいだと言われました。
 
通常の人なら12.1~14.6g/dlまでが基準範囲、貧血と診断される7を大きく下回っていたのだから当然ですよね笑
確かに階段を1階分上がるだけでフラフラでしたが、
その時は「すごいカロリーを消費している!」と狂った思考をしていました(笑)
 
そんなわけで、血液量が最低でも7g/dlに戻るまで生理不順の治療はできず、運動も禁止され、学校での給食も保健室で養護教諭と一緒に食べることに。
・・・まあ、すきを見ては運動したり、給食を捨てたりしてしまっていたのですが・・・
 
私は薬が効きやすい性質で、鉄剤を飲み始めるとすぐに数値は戻りました。
そして高校生から一時は無月経の治療を再開したのですが、
生理時のむくみや体重増加に耐えられず
拒食症も完治していなかったため、1年足らずでその時は断念しました。
そして、拒食症が回復してきても、
何だかんだ面倒くさがっているうちにいつのまにか大学生になっていました。
 
大学一年生で初めて彼氏ができ、ドキドキする経験が沢山あってか、
2年前の12月に生理が止まってから初めて自力での生理がきました。
本当に、本当に、本当に、嬉しかったです。
私にもまだ希望があると思いました。
 
その後はまた生理こず…。
ですが、その12月をきっかけに、
ちゃんと赤ちゃんが産める身体になりたいと思い始めました。
 
なんせ、月経が来てないと毛は濃いわ(特に脇(笑))
髪はガサガサだわ、良いことがないんですから。
 
私は一度ホルモン注射で月経を起こしてから現在まで、
生理5日目から5日間、クロミッドという薬を飲んでいます。
 
体感ですが、これは今まで試したものの中で、
食欲やむくみ、オリモノなのに関して
一番自然な生理と近い症状が出るような気がします。
(はっきりとしたことは分かりません)
 
そして、治療を始めてからは薬の効果もあり、
毎月のように生理が来るようになりました。
 
7年もちゃんと生理が来てなかった私の子宮は
とても小さくなってしまっていたため、
先生には「ちゃんと薬が反応してよかった」と言われました。
そんなにやばかったのか・・・。
 
サボって通院せず、3か月来ない時もあったりしましたが、
着々と月経を起こす回数が増えると、
時々どうしても都合がつかず、通院できない時でも
次第に自力で来る月があるようになりました。
(その時は応対期でも体温が上がりません・・・)
 
そして、不思議なことに出る血液は終始、真っっっ黒!!
 
先生に聞いたら、「古い血液だからではないか」とのこと。
どうやら、私の身体にはまだまだ腐った血液がたまりにたまっている様子。
 
確かに、月経を起こすたびに身体が軽くなっていくのを感じます。
気分も上がります。
 
この調子で治療を続けて、いつか赤い血液を自力で起こせますように。
 
頑張ろう。

 

拒食症の執着心~2.食事編~

 

拒食症時代の私にはたくさんの執着心がありました。

 

前回はむくみと便秘についてお話ししましたが、

今回は別の対象で、

私が執着していたことについてお話していこうと思います。

 

【目次】

1.食べる時間は絶対!

  1.朝ごはんだけは甘いもの食べてもいいんだ!

  2.起きてから7時間後に食べるものは吸収されにくいと信じて・・・

  3.晩御飯は絶対19時より前!

2.お気に入りの食べ物は常に家にないと嫌

  1.クリームパン事件

  2.家族の対応

3.まとめ

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1.食べる時間は絶対!

 

 1.朝ごはんだけは甘いもの食べてもいいんだ!

 

私は、朝ごはんだけは甘いものを食べていました。

朝は、代謝が上がりやすく、日中にカロリーも消費できるため、

甘いものを食べても太りにくいと聞いたからです。 

 

また、毎日朝に運動をしていて、

「運動後30分~1時間に食べると太りにくい」

というネットの情報も信じていました。

 

甘いものは大抵固定化されていました。

私は好きなものは毎日食べ続ける派なので、

飽きるまではずっと同じものを食べていました。

 

豆大福だったり、ケーキだったり、

カップケーキだったり・・・本当に色々です。

でも、200キロカロリーは超えないようにしていました。

(すべてネット検索で把握していました)

ケーキに関しては、母が買ってきてくれたときのみでした。

ただ、カロリーの高さに恐怖を感じていたので、

その日はご飯を全体的に減らしていました。

(ケーキって400キロカロリー超えが多いんですよね・・・)

 

拒食症と診断されてからは、

母は私にちょっとでもカロリーを取ってもらおうと思い、

毎日ケーキを買ってきました。

(その期間の食費は泣きそうなくらいだったと後で聞きました・・・)

 

それ以降はケーキを毎日食べるようになります。

(最初は全然体重が増えなくて、お母さんは冷や汗をかいたみたいです。

 その後、徐々に体重は増加し始めます)

 

2.起きてから7時間後に食べるものは吸収されにくいと信じて・・・

 

人は、起きてから7時間後が最も代謝があがるみたいです。

 

人が一般的に7時に起きると仮定した場合、

15時が最も代謝が良くなります。

3時のおやつが太りにくい、というのはこの原理なんですね。

 

さて、私もその例外ではなく、時々おやつを食べていました。

ただ、おやつを食べると決めた日はお昼ごはんなしだったような・・・。

 

1つだけ確信を持って言えるのは、本当に15時きっかりに食べました。

14時50分くらいからスタンバって、10分間、時計やおやつとにらめっこ。

時計の針が15時になった瞬間に食べる、という行動をとっていました。

 

最初は15時は太りにくい、というだけで食べていました。

ですがその後、起きてから7時間後がそうなのだと知り、

5時に起きて運動していた私にとって、あてはまるのは13時でした。

 

そのため、休みの日のお昼ご飯は必ず13時以降でした。

また、中学校の給食時間は12:00~13:00で、

配膳の準備や後片付けを含めれば食べる時間は12:30~12:45。

たったの15分しかありません。

ですが、わたしにとっては食べていくうちに13時に近づいていくので、

「太りにくくなってる」と思いながら食べていた気がします。

 

起きた時間から逆算して、私はお昼ご飯の時間を決めていました。

 

3.晩御飯は絶対19時より前!

 

晩御飯が、1番のくせものでした。

 

18時から、何か口に物を入れていないと泣きそうになってしまうからです。

 

拒食症と診断される前は母が仕事をしていたので、

自分で時間を調整して食べることができていました。

(ご飯が無い時は自分で作り、ある時は18:00には食べることができました)

 

ですが、母は仕事を辞め、晩御飯を毎日一緒に食べるようになりました。

母自身、私がちゃんと食べているところを見たかったのだと思います。

そのため、晩御飯が作り置きされることはなくなりました。

加えて、一人で食べてしまうことも許されなかったのです。

 

18:00からご飯を食べられる日は問題ありません。

 

ですが、母の買い物が遅くなって18:00になっても帰ってこない時は、

不安になってお母さんの携帯に電話しまくりました。

(18:00をすぎると、私は勉強も何も手につかなくなりました。)

 

18:20になったら時計ばかり見ては涙目になり、

独り言でお母さんをめちゃくちゃに言っていました。

イライラしすぎてクッションを投げたり、壁を蹴ったりと大暴れもしました

 

母は、私の晩御飯から逆算して、1日の予定を立ててくれていました。

そのため、普段の買い物は15時から17時くらいに済ませてくれていて、

18時以降になったのは、知り合いに出くわした時など、

イレギュラーなことが起こった時です。

先日、拒食症について母と振り返っていた時、

「丁度ほっこりんが晩御飯の時間に、食品は安くなるんだよね~

 だからいつも定価で買っててもったいなかったわあ」と

言われて申し訳なく思いました・・・。お母さん、ごめんなさい。

 

さて、19時までには完全に食べ終わり、

食べ終わらない時は食事を途中でやめました

 

また、母がどうしても19時までに帰ってこられなかった際は

怒られても怒鳴られても、かたくなに晩御飯を抜きました。

 

私は、とにかく時間に縛られて行動していたのです。

 

 

2.お気に入りの食べ物は常に家にないと嫌

 

1.クリームパン事件

 

先ほどもお話しした通り、私は好きなものは基本毎日食べ続けます。

(今でもその癖があり、好物はストックがあります・・・(笑))

そして、無かった日にはめちゃめちゃ不機嫌になりました。

 

いつだったかは忘れましたが、

一度、ヤマザキパンの薄皮クリームパンが大好きだった時期がありました。

毎晩、朝ごはんのクリームパンを楽しみに寝ていたくらいです。

 

ですが弟が夜中に食べてしまい、夜にはあったクリームパンが、

次の日の朝なくなっていました。

 

私は勿論、幻滅し、怒り狂いました。

確か、寝ている母親を起こして「ねえ!クロームパンは!?」みたいな感じで

問い詰めた気が・・・汗

 

母親は、朝の7時前からクリームパンだけのために出かけるはめになりました。

近くのイオンやコンビニを探しますが、

ヤマザキパンのものがなく、母親に「ごめんね、見つからなかったの」と、

ローソンのクリームパンを渡されました。

 

探し回ってもらっている間に、

運動後のゴールデンタイムが終わっていまい、私は超不機嫌。

 

弟と探しに行ってくれた母も、めちゃくちゃに

けなしながらご飯を食べました。

 

弟は「もう一生クリームパンなんか食べない」と言い、

本当にクリームパンを食べなくなってしまう始末。

 

最近、ようやく食べるようになり、ホッとしています・・・。

 

それくらい、私は食べ物への執着が激しかったです。

 

2.家族の対応

 

家族は、「ほっこりんの食べるものを切らしてはいけない」

と危機感を覚えたのでしょう。

 

母は、私が好きなものを沢山ストックするようになりました。

 

食品売り場で1列しかなかったものが、

母が買いまくった結果、2列に増えていたこともあるくらいです(笑)

 

最低5つくらいはストックしていたような気がします。

 

また、私は自分の食べものを取られないように、

買ってきてもらった食材を全て、自分の引き出しに保管していました。

絶対に、他の誰にも渡さなかったのです。

 

今思えば、何て小さい人間だったんでしょう・・・(笑)

しかし、今も自分のものを隠す癖は抜けません・・・

恐らくこれは一生付き合っていく性格なんでしょうね。

 

兄や弟も、私のものを決して食べませんした。

母が買い物から帰ってきて、食品を袋から出している最中に、

「これいいなあ」と言ったものが私のためのものだと知った時は、

「じゃあいらない」と全て私に譲ってくれました。

 

まさに、私は我が家の食べ物界の女王だったんですね(笑)

 

 

3.まとめ

 

いかがだったでしょうか。

 

一度身に付いてしまったこだわりの強さは、

恐らく一生のものになります。

 

今も、食べ物への執着は強いです。

食べる時間も、一人の時は必ず19時には食べ終わります。

(友人と食べるときは気にせず食べることができるようになりましたが、

 20時を過ぎるとやはり恐怖心を抱きます)

 

まだ、「18時にご飯を食べるためには、あそこに行くのをやめて、

 最初にあれをして・・・」

とい風に、1日の行動の水準はご飯になりがちです。

 

ですが、以前よりははるかによくなっています。

許せる範囲が広くなりました。

 

これが、拒食症を「受け入れ、改善した」ということなのでしょうね。

これからも、許せる範囲を広げれるように頑張っていくつもりです。

 

今まさに同じ状況にいる方がいたのなら、一緒に頑張りましょう!

 

 

 

 

 

貧血の恐ろしさ

 

 

こんにちは、ほっこりんです🌸

私は中学1年生から高校3年生まで拒食症で悩んでいました。

このブログでは、私が拒食症になってから克服するまでの体験談と、

今現在行っている健康管理についてお話していこと思っています。

このブログが、現在拒食症で悩んでいる方や、

拒食症の子どもがいるご家族のお役に立てれば光栄です。

 

【目次】

1.拒食症で貧血がひどくなりました

  1.数値は最低値の3分の1に

  2.血が足りないと・・・

  3.運動も禁止された中学校3年冬

2.まとめ

 

------------------------------------------

 

1.拒食症で貧血がひどくなりました

 

もともと、我が家は貧血家系です。

母も兄も、貧血で何度も倒れた経験があります。

また、私の家族はみんな色白で、

私も先生から、元気な時でも体調を心配されることがありました。

 

ですが、拒食症になってからは更に貧血が悪化しました。

 

1.数値は最低値の3分の1に

 

女性のヘモグロビンの平均値は11.5~16gと言われています。

 

私は、中3の最もひどい時に4gまで減ったことがあります。

お医者さんには「立っているのが奇跡だ」と言われました。

 

2.血が足りないと・・・

 

お医者さんには立っているのもすごいと言われましたが、

当時私は運動を継続していました。

 

ですが正直、本当に本当に本当につらかったです。

 

だって、1階から2階までの階段をあがるのもやっとだったんですから。

私の家はマンションの5階でエレベーターがありましたが、

勿論私は階段をつかっていました。

 

学校帰り、私は家の階段を、1階分上がるごとに休憩していました。

(確か1回分で1段ほどしかなかったです)

 

普通ならおかしいと気づきますよね?

でも私は「「こんなに疲れるんだから相当なカロリーを消費しているはず!」」と

本気で思っていました。

 

 

本当の末期の秋ごろ、外は寒くなっているので

私は家でエアー縄跳びをやっていました。

 

ですが、全然飛べません。

1万回跳んでいた自分はどこへやら、

私は100回ぴょんぴょんするのも苦痛でした。

 

室用シューズなどなく、はだしで飛ぶため、次第に脚も痛めていきます。

脚を痛めると、脚が常に張るようになりました。

 

また、この感覚は誰にも理解して貰えませんでしたが、

夕方になり、学校の帰りが近づいてくると、

私は足の骨が浮き出てくような感覚に襲われました。

 

「もう少しで運動が待ってる・・」

もう、運動は私にとってストレス以外の何物でもなかったのです。

辛い辛い運動が終わったら、「明日の夕方まで解放される・・・!」と安堵し、

次の日の学校では「あと何時間後には運動しなくちゃいけないんだ・・・」

「あと何時間後には運動終わっているんだ・・・」

とカウントダウンをしては精神的に追い詰められていきました。

 

そんな中、拒食症が診断され、貧血だと指摘されました。

 

3.運動も禁止された中学校3年冬

 

勿論、運動は禁止されました。

 

その時、正直、泣きそうになるくらいホッとした自分がいました。

そう、誰かに、止めて欲しかったのです。

自分では、どうしても止められませんでした。

 

ホッとはしたものの、止めると消費カロリーが発生しません。

ご飯を食べることが怖くなります。

 

今まで母に心配される経験が少なかったこともあり、

私は母がお風呂に入っているときに、こっそりと運動し続け、

体重を維持しようと考えました。

 

・・・母は、私が拒食症が診断されて、仕事を辞めました。

つきっきりで、寄り添ってくれました。

私が学校にいるあいだ、1日中拒食症について調べてくれていました。

今でも、家にはたくさんの拒食症に関する本があります。

 

遺族年金のみでの生活で、貯金が減っていく一方だったのに、

母は何も言わず、支えてくれました。

 

そのため、運動していることはすぐにばれました。

運動したら駄目だと本気で言われて、

でも私は運動できないのが苦痛で苦痛で・・・

 

私はますますご飯を食べることができなくなりました。

運動をしていないのにご飯を食べるなんて、考えたくもなかったのです。

 

私がかたくなに折れなかったので、

「お医者さんには内緒だよ」と、

お尻歩きとストレッチだけは許してくれました。

 

 

少し話はそれてしまいましたが、

私は運動も禁止されてしまったのです。

 

そして、私は鉄分の錠剤で治療を始めます。

もともと健康体で薬を飲むことが滅多になかったので、

薬の耐性もなく、凄い勢いで鉄分を吸収していきました。

 

正常値にまでどれくらいかかったのかは定かではないですが、

高校1年の途中までは薬を飲んでいた気がします。

 

正常値になってからも、3か月は薬を飲む続けなければなりません。

血液を流れる血のほかに、貯蓄される血も確保しなければならないからです。

 

貧血が回復し始めると、本当に身体の軽さが違いました。

階段も5階まで上がるのに休む回数が減り、頭もはっきりするようになりました。

(本当は禁止されていたのですが、こっそり使ってました・・・)

 

この感覚は衝撃が強かったのではっきり覚えています。

 

2.まとめ

 

 

貧血は、恐ろしいです。

 

貧血も、前回お話ししたむくみ便秘の原因になります。

 

特に、便秘に関しては鉄剤を飲むことでも起こるので、

貧血になってから完全に治療が終わるまで、ずっと便秘です(笑)

 

その他、頭痛や身体のだるさなど

様々な身体の不調を引き起こすきっかけにもなります。

 

皆さんも、貧血には十分に気をつけてくださいね。

私みたいにならないように・・・(笑)

 

 

 

 

 

 

拒食症の執着心 1.体調編

 

 

こんにちは、ほっこりんです🌸

私は中学1年生から高校3年生まで拒食症で悩んでいました。

このブログでは、私が拒食症になってから克服するまでの体験談と、

今現在行っている健康管理についてお話していこと思っています。

このブログが、現在拒食症で悩んでいる方や、

拒食症の子どもがいるご家族のお役に立てれば光栄です。

 

 

前回は厚く語ってしまって申し訳ありません。

後で見返して、内容の薄っぺらさに恥ずかしくなりましたが、

その時の私の気持ちを大事にしたいと思ったのでそのままにしておきます。 

 

さて、今まで拒食症についてたくさんお話してきましたが、

今回は、私が拒食症中、何に執着して生活していたのかをお話ししようと思います。

 

拒食症は、執着心が強くなります。

食べ物への執着だったり、運動への執着、睡眠への執着・・・

人には必ずと言っていいほどこだわりを1つは持っているはずです。

ですが、拒食症になると

そのこだわりは他人に理解されないくらい激しいものとなります。

 

今回は、数ある執着のうちの1つをご紹介したいと思います。

 

【目次】

1.むくみと便秘

  1.きっかけ

  2.私が実践した対処法

   むくみ

   1.メディキュット、樹液シート

   2.マッサージ

   3.つま先立ちで歩く

   4.ゴキブリ体操

   便秘

   1.食物繊維をとりまくる

   2.整腸剤や便秘薬を使う

   3.マッサージをする

   4.便秘に良いという体操(運動?)をする

  3.末期症状により、とうとう精神科で漢方を処方してもらう

  4.薬の乱用で…

 

2.まとめ

----------------------------------------

 

1.むくみと便秘

 

1.きっかけ

 

きっかけは、もちろんダイエットでした。

 

むくみは、栄養が足りず、カリウムが不足することで起こります。

筋肉が少なく、血液を全身に回すことが難しもなっていました。

また、以前お話した通り、勉強を1日中するようになったのも原因です。

 

中2の頃は、朝に運動をしていたので、最初はお昼くらいまでは大丈夫でした。

ですが、昼から夕方にかけてむくみを感じ始めるようになります。

 

中3に差し掛かるころには、学校の1時間目が終わるころには

脚にだるさを感じていました。

それは私の勘違いとかではなく、何もないところでつまづいたり、

はいている靴が窮屈になっていました。

 

体重は軽く、私の脚は他人から見たら折れそうなくらいの細さだったかもしれません。

写真が残っていないのが残念ですが、

私の脚は朝と夜では全く太さが違いました。

 

 

便秘も、中学2年生から現在まで私を悩ませています。

便のもととなる炭水化物をほとんど取らず、

キャベツやキノコなどの食物繊維をひたすらにとっていました。

食物繊維の取りすぎは、逆に便秘の原因となることを知らなかったのです。

 

また、便秘に関しても必要な筋肉がなかったため、

お腹に十分な力をいれられず、ふんばりも弱かったのでしょう。

 

便秘によってお腹が張れば、見た目も変わります。

4日間お通じが無く、お腹が出てきたときは、

泣きながらお腹を叩いていたと母が言っていました。

それくらい、便秘に敵対心を向けていました。

 

さて、拒食症の人は下腹部のポッコリお腹が特徴です。

ガリガリな身体では臓器を十分に支えることができず、

臓器が下に下がってきてしまうからです。

下腹部のお腹のポッコリをなくそうと必死に筋トレをしていましたが、

臓器だったのでなくせるわけもありませんよね(笑)

 

 

私は、見た目が大きく変わってしまう

むくみと便秘を常に意識しながら生活するようになりました。

 

2.私が実践した対処法

 

では、私はどのように対処していたのでしょうか?

 

先に申し上げておきますと、以下のようになります。

 

むくみ

→メディキュット、樹液シート

→マッサージ

→つま先立ちで歩く、こまめに立つ

ゴキブリ体操

便秘

→食物繊維をとりまくる

→整腸剤や便秘薬を使う

→マッサージをする

→便秘に良いという体操(運動?)をする

 

むくみ

1.メディキュット、樹液シート 

 

まずはむくみについて詳しく説明していきます。

 

メディキュットは皆さん御存じですよね。これです↓

 

 

 

まさにこれを使っていました。

次の日のすっきり感がたまらなくて毎日使っていました。

 

 

また、樹液シートも併用して使っていました。

次の日、むくみが吸い取られて色が濁っているのを見ると

「老廃物が排出された!」という実感があって快感でした。

 

2.マッサージ

 

マッサージは、最初は自己流で片足10分ほどずつでした。

それもただ、ふくらはぎをモミモミしたり、

太ももへ流すように脚をさするだけでした。

ですが、マッサージの時間は日に日に伸びていき、

内容もきちんと調べ、最終的には片足40分ほどかけるようになっていました。

いくらマッサージしても、リンパが良くなる感覚を味わえなかったからです。

この時行っていたマッサージはこれです。

 


♡ぺこちゃんねる♡私のダイエットについて♡©スターレイプロダクション

 


足首の歪みを改善して足首を細くする方法

 

数ある中で私が最も効果あり!と思ったのはこの2つです。

特に足首の歪みはすぐに変化があり、

思い出した時いつもやっていました。

 

3.つま先立ちで歩く、こまめに立つ

 

つま先立ちは家にいるときで、

こまめに立つ、というのは学校と家の両方です。

 

つま先立ちは、確かに効果があるかもしれません。

ですが、途中から歩き方に癖がついてしまい、

それが脚の歪みを起こす原因となってしまったので私には合いませんでした。

 

また、ふくらはぎは筋肉がつきやすい部分なので、

ずっとつま先立ちで歩いていると、ムキっとしてしまうこともあるようです。

よくヒールを履くと足が太くなる、と言いますよね。

それも、つま先立ち歩きと同じ原理で、

ふくらはぎの筋肉が異様に発達してしまうためです。

 

それでもヒールを履きたい!という人は、しっかりマッサージをしてください。

 

次に、こまめに立つ、ということを私は日常生活で行っていました。

代謝を上げるために、1時間に1回は立ち上がりましょう」

とサイトで見たからです(笑)

 

家では気兼ねなく好きな時に立ち上がってストレッチをしたり、

伸びをしたりすることができますよね。

 

じゃあ学校ではどうしていたのかというと・・・

 

授業が終わるごとにトイレへいって個室で伸びをしていました。

 

もしくは、教室の自分の机の前にただ立って業間休みの10分を過ごす、

という、他人から見たら変人としか思えないような行動もとっていました。

(友達がいなくて行く場所もなかったのです)

 

時には、机の前に立ってつま先立ちをしながら本を読む、

という域にまで達していたこともあります。

他人から変な目で見られていた気がするし、もう黒歴史としか言いようがありません。

 

家で行う分には、心から推奨する対策方法ですが・・・汗

 

4.ゴキブリ体操

 

ゴキブリ体操は、その名の通りゴキブリみたいな動きをする体操です。

でも、これ、凄く効果抜群なんですよ!

 

私は100回ブラブラすると決めてやっていましたが、

腹筋にも太ももの筋トレにもなるので一石三鳥です。

 


【健康痩せ】糖尿、肥満、疲労、ムクミに効くゴキブリ体操【りらく屋】 Cockroach gymnastics

 

2.便秘

1.食物繊維をとりまくる

 

これは、やりすぎが禁物な対処法です。

さっきも申し上げた通り、取りすぎると逆に便秘を引き起こすからです。

 

私は便秘解消のため、

白湯(起きてすぐ)

アーモンド(20粒)・ホットココア純ココアにてん菜オリゴ糖を入れて)

フルーツ

を必ずとっていました。

 

また、

食前にサラダ、納豆、キムチ

食後にオリゴ糖をたっぷり入れたヨーグルトを必ず食べました。

これで最初のうちは快便になりましたが、

 

・食べる量が減ると押し出すものがない

・食物繊維の取りすぎで便秘になる

 もしくはお腹を下すレベルで出て、次の日以降便が出ない

 

といことが起こったので、こちらはほどほどにしておいてください。

 

現在はアーモンドオリゴ糖サラダ納豆を継続しています。

(実家暮らしの間は全て継続していましたが、

大学生となった一人暮らしの生活では、

ヨーグルトやフルーツ、純ココアは経済的に無理でした。)

白湯は朝の時間に余裕が無いので作って飲むまでにいけません(笑)

 

今は、お通じに良いと聞いた豆乳寒天を作って毎日食べています。

(効果は超抜群です、めちゃめちゃお勧めします)

 

2.整腸剤や便秘薬を使う

 

これらは最初、非常時に使っていました。

4日便が出ない!とか、お腹が張ってくるしい!という時だけでした。

 

ですが、中3になって万年の便秘になると、毎日整腸剤を飲み、

便秘薬も週に3回ほどは使っていました。

 

整腸剤や便秘薬を頻繁に使うと、身体が慣れてしまうので、

効果は薄れていってしまいます。

そのため頻繁に使うことは絶対にお勧めしません。

 

便秘薬も、効果が出なくなってきたからと量を増やしてしまうと、

便秘薬を飲まないと出ない体質になってしまいます。

私も自然と便意を催すようになるまで苦労しました・・・。

 

整腸剤や便秘薬は自分のためにも、本当につらい時だけ使ってくださいね。

人工的に便意を催すのは、身体を無理やり動かしているということなのですから。

 

3.マッサージをする

 

私は寝る直前と、朝にご飯を食べる前の2回、腸のマッサージをしていました。

腸下垂だと思い込んでいた私は、その対策のマッサージをネット調べてやりました。

腸下垂という言葉は、テレビ番組の特集で知りました。

 


便秘解消2分!落下腸マッサージ

 

このマッサージの、「とんとん」と叩く動きを、

家族には「カマキリ拳法」と言われていました(笑)

手を直角に曲げて激しく叩いていたからでしょうね・・・(笑)

 

4.便秘に良いという体操(運動?)をする

 

私が実践していたのは、

お尻歩きと、おちょダイエットです。

 

お尻歩きは、高齢の方でも無理せずできる内容です。

身体の歪みも治してくれると聞いてやっていました。

 

ですが、肉のないお尻な上に、何も敷かない床でやっていたため、

お尻が痛いわ、おできができるわで散々でした(笑)

それでも毎日前後ろに100歩は歩いていました。

 

おちょダイエットは知っている人も多いのではないでしょうか?

8の字に腰を回す、という運動です。

 

腹筋に効果があって、凄く良かったのですが、

少しでもカロリー消費をしようと思って激しく腰を回すようになってしまってから、

腰痛に悩まされるようになってしまいました・・・汗

それでも無理して何年も継続していて、つい最近まで腰痛は治らなかったので

皆さんには正しいフォームで行うことを心からお勧めします(笑)

 

3.末期症状により、

とうとう精神科で漢方を処方してもらう

 

中3で拒食症が診断され、精神科に通い始めました。

その病院では患者さんの悩みに合った漢方を処方してくれました。

 

私は勿論、便秘とむくみについて訴えていたような気がします。

(人間関係や病気について相談していた記憶も微かにあります)

 

あまりにも毎回言っていたからなのかは分かりませんが、

私はその漢方を喜んで飲み始めます。

その薬は朝昼晩と食後に飲むものだったのですが、

最初のうちは飲むと何度もトイレに行きたくなりました。

 

尿も沢山出るし、下痢になるまで便もでるという状態でした。

私は「余分なものが排出されてる!」という快感を味わうようになりました。

 

4.薬の乱用で…

 

やはり、漢方も毎日飲んでいれば、

日に日に効果は薄れていきます。

 

私は、先生の言いつけを破って、

1回で2回分以上を飲むようになりました。

 

その分効果は絶大でしたが、

必要な栄養分も吸収されなくなり

私はもともと持っていた貧血を悪化させることになってしまいました。

 

立ち眩み、吐き気、だるさ、その他にも多くの体調不良に悩まされました。

ですが、その「体調の悪さ」もまた、「か弱い自分」を感じれる要因となり

喜んでいて、もっと悪化させようとしていた記憶があります。

 

(貧血のお話は、結構大切なので次回詳しくお話しします。)

 

私の様子の異変を感じた母が私の服用を止めなければ、

私はどうなっていたか分かりません・・・。 

 

2.まとめ

 

振り返ってみても、やばい自分しかいなくて自分でも引いています(笑)

 

ですが、全て実際にやっていたことです。

よくこんなにやって1日で足りていたなあ・・・としみじみ思います。

 

これも、過活動の力を持ってこそなんでしょうね・・・。

 

私の場合は度が過ぎてしまったため失敗に終わりましたが、

正常の範囲内であれば非常に有益な情報であると思います。

 

ですが、拒食症の方は私の教訓をもとに、

もし実践しているものがあったら行動を見直してみてください。

自分の身を滅ぼしてしまう前に。

 

私は嘔吐できなかったタイプの拒食でした。

そのため、下から出す方法しかなかったので

このようにたくさんの方法を試しました。

 

でも、栄養は必要だから取るものです。吸収されるものです。

無理に出そうとは、決してしないでくださいね。

じゃないと、倒れてしまいますから・・・。

 

 

 

 

 

アナタは今、幸せですか・・・?

 

こんにちは、ほっこりんです🌸

私は中学1年生から高校3年生まで拒食症で悩んでいました。

このブログでは、私が拒食症になってから克服するまでの体験談と、

今現在行っている健康管理についてお話していこと思っています。

このブログが、現在拒食症で悩んでいる方や、

拒食症の子どもがいるご家族のお役に立てれば光栄です。

 

 

さて今回は、拒食症によって記憶が断片的になってしまった私の気持ちを

感情的になってしまうかもしれませんが、お話していこうと思います。

 

【目次】

1.皆さんに伝えたいこと

  1.拒食症の後遺症

  2.拒食症は一生涯付き合っていく病気です

 

1.皆さんに伝えたいこと

 

1.拒食症の後遺症

 

一度記憶力が低下してから私は物の名前や人の名前を覚えることが苦手になりました。

友達に心配されるくらい、記憶力が悪くなりました。

 

加えて、一度覚えたこともすぐに忘れます。

大学のテストのためにせっかく勉強した内容も

1か月後にはきれいに忘れてしまいます。

 

(すべてが拒食症のせいとは言えませんが、

原因の大きな1つとなっているのは確かです)

 

2.拒食症は一生涯付き合っていく病気です

 

拒食症によって、私の考え方はガラリと変わりました。

ダイエットの知識が莫大になってしまったからです。

 

遅い時間にご飯を食べるのは良くない。

姿勢を気をつけていれば代謝があがる。

歩くときは大股で。

ご飯を食べる順番は・・・

 

その他もろもろ、日常生活のありとあらゆる場面で私が得た知識が使えます。

自然と頭に浮かんできてしますのです。

そして、自然とその考えたことを実行に移してしまいます。

 

 

 

私は、拒食症に「完治」が無いと思っています。

「回復」もしくは「改善」が限度だと感じています。

 

今でも、健康には人以上に気を付けていますし

1日1回は外に出かけないと落ち着かないし、

19時以降にご飯を食べることには抵抗があります。

また、その日のご飯を中心に1日の行動を決めてしまいがちです。

 

それでも、私は折り合いをつけて生活できるようになりました。

前にお話しした「0か100思考」を抜け出せたのです。

 

「たまにはいいや」「今日くらいは」

そう思って、夜遅くに友達とご飯に行ったり、

食べる順番も気にせず食べれることが増えました。

 

私が一番の成長だと思ったのは、

1日中家でのんびりする、ということができるようになったことです。

これは、私にとって一回りも二回りも成長したと言えるくらい凄いことです。

拒食症時代は、熱を出しても天気が悪くても外出していたくらいだったのですから。

 

そして何より、人と関わることが好きになりました。 

 

拒食症に完治はないかもしれない。

それでも、自分が心から「楽しい!」と思える生活なら、

それは「克服」と言っていいのではないかと、私は思っています。

 

 3.今苦しんでいる人に伝えたいこと 

 

拒食症に悩んでいる人は、

今のことしか、正直考えられませんよね。

今日の体重は?朝ご飯は?晩ご飯何だろう?運動しなくちゃ…

 

私もかつてはそうでした。

今、私は拒食症の人たちの役に少しでも立てればと、

ブログを書いています。

ですが、私自身、闘病中に拒食症の人のブログを母に見せられていた際は、

反発する気持ちしか抱きませんでした。

見せられている時間さえも、惜しい。

この時間でカロリー消費をしたい!と、イライラしていました。

 

他人と関わっている時間をストレスと感じるようになっていたのです。

 

拒食症で居続ける限り、周囲は自分から離れていきます。

自分が壁を作ってしまうのだから。

 

でも、今だからこそ、声を大にして言いたいのです。

「もっと違う事に目を向けてください」と。

 

私は、中学生からほんの少し前まで、ダイエットのことしか考えられませんでした。

そのため、みんながその当時から知っている

芸能人やファッション関係の話に疎いです。

友達と、楽しく会話できる内容が少なくて苦労してします。

頑張ってついていこうとしても、

名前が覚えられないから浅い知識で止まってしまうことが多いです。

 今でも関心があるのは健康や栄養についてのことばかり。

芸能人やファッションについてはあまり興味がわきません。

 

私の経験から申し上げますと、拒食症で減らした体重は必ず戻ります。

 

辛いかもしれませんが、それ以上の体重になることだってたくさんあります。

回復期での過食期になると、特にそうです。

私も過食期は一か月で7㎏増えました。

 

そう考えると、

今、体重を減らすことにどんな意味があるのでしょうか…?

 

 

 

 

少しキツく話してしまいましたが、それくらい、私は後悔の念も強いのです。

 私と同じ後悔をして欲しくないのです。

 

私は文才がないので、

伝えたいことが沢山あるのに、文字に起こしてしまうと薄っぺらくなってしまいます。

もっと伝えたいことがあるのに、伝えられない自分がもどかしいです。 

 

でも、少しでもいい。1ミリでもいい。

誰かの心に入り込んでくれれば…

 

 

 

 

最後に決断するのは、自分自身です。

 

人生を楽しく過ごしたいなら、貴方はその人生をどう過ごしたいですか?

 

楽しいと感じられない運動をして、本当に食べたいものを我慢して、

人との関わりを絶って、それで死ぬ時「悔いのない人生だった」と言えますか…?

 

 

後悔のない人生を送りたいですよね。

自分が今生きていることの素晴らしさに気付いてください。

 

美味しい食べ物が沢山あるんです。

優しい人たちが周りに必ずいるんです。

餓死して死ぬ環境じゃないのに、飢餓で死ぬなんて悔しくないですか・・・?

 

自分の心に、気持ちに寄り添ってください。

もう少し、自分に甘くてもいいんです。

だって、自分のための人生なんですから・・・。

 

 

 

拒食症中の学力について

こんにちは、ほっこりんです🌸

私は中学1年生から高校3年生まで拒食症で悩んでいました。

このブログでは、私が拒食症になってから克服するまでの体験談と、

今現在行っている健康管理についてお話していこと思っています。

このブログが、現在拒食症で悩んでいる方や、

拒食症の子どもがいるご家族のお役に立てれば光栄です。

 

 さて、前回は私が拒食症と診断されるまでの

長いお話をさせて頂きました。

 

 

sannkyo-dai.hatenablog.com

 

 

今回は、中学校の私の学力について

お話ししていこうと思います。

 

【目次】

1.私の経験から

 1.成績は、伸びます

 2.思考力の低下

 3.思考力が低下し続けた行く末

2.まとめ

--------------------------------

 

1.私の経験から

 

1.成績は、伸びます

 

結果から先に申し上げると、成績は上がります。

ですが、それは一時的なものです。

これは私だけに言えることではなく、

学生で拒食症になった人の多くが同じ経験をしています。

 

ところで、今の話を聞いてある疑問を抱く人がいるのではないでしょうか?

「栄養不足だったら記憶力や思考力が低下していくのではなかったのか?」と。

 

その通りです。栄養失調中だった過去の記憶が、私にはありません。

詳しくは過去のブログでお話しているので、

そちらをご覧になってください。

 

 

sannkyo-dai.hatenablog.com

 

 

では、何故成績が上がるのか、

私の見解をお話ししていこうと思います。

 

何度もお伝えしてきましたが、

拒食症になる人の性格は、真面目で完璧主義なことが多いです。

常に努力し続ける気質を持っているのです。

 

その時の私は、「やる気スイッチ」が押された気分でした。

ダイエットも、勉強も、少し頑張れば何故だか結果がついてきたのです。

 

私は中学校に上がりたては、全然頭が良くありませんでした。

中の下くらいで、勉強もあまりせず(ブログやアニメに精力を注ぎました)

中学1年の間はずっとその辺りをうろちょろしていました。

ですが、運動をするようになってから

私は勉強の飲み込みが非常に早くなりました。

 

もともと、運動をすれば脳が活性化され

思考力が向上するとは言われています。

勿論、その効果もあったと思いますが、

それ以上に、私の生活習慣が原因となったのではないかと思います。

 

中学2年生になってから

私はテスト期間の2週間、

やっていたブログも断ち、テレビも見ず、

ひたすらにダイエットと勉強だけをしました。

 

何故ダイエットと勉強に絞ったのでしょうか?

それは、「頭を使うことでカロリーを消費できる」からです。

科学者や研究者をイメージしてみてください。

みんなひょろっとしていませんか?(笑)

頭を回転させると、糖質を消費します。

頭を使うとお腹が減りますよね。

それは、糖分を使っているからなんです。

現に、科学者や研究者は常にチョコレートなどの糖質をとっているらしいですよ。

 

私はその情報を信じて、ひたすらに勉強しました。

 

その結果、中の下くらいだった私の成績は、

上位20位以内には入るようになりました。

(学年全体は130人くらいでした)

 

 また、たくさん勉強する中で自分に合った勉強法も確立することができました。

ひたすら書く、音読するという方法でしたけど(笑)

音読するときは、少しでもカロリー消費をと、

部屋の中を歩き回りながら音読していました。

 

以上が、私の学力の絶頂期になります。

 

2.思考力の低下

 

中学2年生の1年間はひたすら勉強だけをして

成績を維持していました。

平日は1日3時間以上、休みの日は7時間以上勉強していたと思います。

(それでも20位ほどだったので頭の容量はそこまで良くなかったってことですね(笑))

 

中3の受験期になり、

私は夏休みから塾へ通い始めました。

それまでは、進研ゼミをやっていました。

ここから、進研ゼミと塾を併用し始めます。

これは私がお母さんにお願いして入れてもらったかたちです。

 

我が家は母子家庭で決して裕福とは言えませんでした。

そのため、凄くすごく悩んだ末に、

泣きながらお母さんにお願いしました。

その時、お母さんは笑って許してくれました…。

その事が、更に勉強を頑張らないと!

というモチベーションに繋がっていました。

 

私が通った塾の生徒はあまりおらず、

レベルも高いとは言えませんでした。

そのため、塾内の成績上位者のトップ5には

必ずと言っていいほど食い込んでいました。

 

成績ごとにクラス分けされていたのですが、

塾では常にAクラスに入って勉強しました。

 

ですが、夏から秋にかけて体重が40㎏を下回るようになり始めてから、私の成績は次第に落ちていきます。

 

拒食症には、「40㎏の壁」というものがあります。

40㎏を越えなければ、記憶力は定着していかないと考えられているみたいです。

(元々痩せ型で、拒食症ではない人は例外です)

そのため、私は闘病する際も、

40㎏を超えるまでは精神科での治療をしてもらえませんでした。

 

40㎏を超えなくなり

栄養も足りず、頭が回らなくなった私は

最終的に、中1のプラスマイナスの計算も間違うようになりました。

 

その塾では予習という形で授業が進んでいたのですが、

前日やった問題をまっっったく覚られませんでした。

問題を見ても、宿題をやった記憶すらなく、

自分がいつ、どのように解いたのか

見ても全くわかりませんでした。

 

そのため、次の日の授業が理解できず、

次第に周囲から取り残されるようになっていきました。

 

3.思考力が低下し続けた行く末

 

拒食症と診断されてからしばらく経った12月から、

どういう経緯だったか覚えていませんが、

私は集団授業から外れ、個別指導になりました。

 

母に聞いたところ、

私が「周りの人たちの目が怖い」と

泣きながら母に訴えかけたからみたいです。

 

このころ、私は周囲の目が非常に怖かったのは覚えています。

今度詳しくお話ししますが、

何故ならこの頃の私は

学校でいじめのようなものにあっていたからです。

 

最終的に、中2までで培った学力で高校には入学できましたが、

今でも私は中3の勉強内容を殆ど思い出せません。

 

先日までアルバイトで塾講師をしていたのですが、

中3を受け持った時は地獄でした。

数学ならまだ回復気を迎えていた

高校の内容も使えるので何とかなりますが、

理科や社会は本当に、まったく、これっぽっちも覚えていませんから…。

 

 

 

 3.まとめ

 

いかがだったでしょうか?

今回は、拒食症時の私の学力についてお話ししました。

 

おそらく、拒食症の方の多くにご理解頂ける内容だと思います。

そして、拒食症のことをあまり知らない人たちは驚かれたのではないでしょうか?

カロリー消費のためならなんでもした私の行動を・・・。

 

 

拒食症時には、思考が極端に偏ります。

0か100でしか考えられなくなるのだと思います。

これも、思考力の低下からくるのです。

 

学力が低下してしまう前に、最悪の状態になってしまう前に、

自分の努力が無駄になってしまわないように、

今の自分の行動の意味を、もう一度考えてみてください。

 

 

きちんと栄養を取って、健康的な生活を送れるように、

 

少しずつ、少しずつでいいから進んで欲しいという願いを込めて。

 

 

 

 

拒食症のサイン~病名を診断されるまで~

こんにちは、ほっこりんです🌸

私は中学1年生から高校3年生まで拒食症で悩んでいました。

このブログでは、私が拒食症になってから克服するまでの体験談と、

今現在行っている健康管理についてお話していこと思っています。

このブログが、現在拒食症で悩んでいる方や、

拒食症の子どもがいるご家族のお役に立てれば光栄です。

 

さて、前回は私がどのような方法で

ダイエットをしていったのかについてお話ししました。

 

sannkyo-dai.hatenablog.com

 

今回は、私がどうやって拒食症と診断されたのか、

その経緯についてお話していこうと思います。

 

私と同じような言動をしている方が身近にいたら、

拒食症のサインかもしれません。

その場合は、その方のためにも

手を差し伸べてあげて欲しいと思います。

なぜなら拒食症は、一人では直すことができないからです。

 

【目次】

1.私の経験から

  1.私には自覚症状がありました

  2.私がダイエットにのめり込んでいった理由

  3.私が拒食症だとバレるまで

  4.とうとう拒食症がバレてしまった

  5.母からの辛い言葉

2.まとめ

   

-------------------------------------------------------

 

1.私の経験から

 

1.私は自覚症状がありました。 

 

私は、もしかしたら特殊なケースだったかもしれません。

なぜなら、自身が拒食症であるという自覚がありました。

 

何故拒食症という自覚があったのか・・・

それは、小学校5年生のクラスメイトの中で、

過去に拒食症だったという子がいたからです。

確かにその子は克服こそしているものの、

身体の線が非常に細く、超がつくほど小食でした。

読者モデルもしていて、美人でもありリーダーシップもある・・・

私にとって理想の子でした。

 

その子に憧れを抱いていたことは事実ですが、

私が拒食症になったきっかけには関係なかったです。

ただ、そこで私は「拒食症」なるものを知りました。

 

そのため、中学1年生の2週間足らずで5㎏のダイエットをした時から

私は「拒食症かもしれない」と考えていました。

当時私はブログをやっていて、

その中でも「拒食症になったかもしれません」と投稿していました。

 

2.私がダイエットにのめり込んでいった理由 

 

以前もお話しした通り、身体だけは丈夫だった私は、

この機会を通して体の不調を訴えることで、

みんなに心配して欲しかったのだと思います。

 

自覚があってもどんどんダイエットにのめり込んでいったのも、

その投稿で多くの方に心配の声を頂き、味を占めたのだと思います。

「みんなが私を心配してくれている・・・!」

か弱い自分に酔いしれていたのだと、今ならわかります。

 

3.私が拒食症だとバレるまで 

 

自覚があったからこそ、周囲に隠しながらダイエットをしました。

ダイエットなんかしてないよ、という顔でダイエットをしていたのです(笑)

そのため、テレビ番組で拒食症やダイエットの話が取り上げられた時は

心臓がバクバクし、指摘されないかとひやひやしていた記憶があります。

 

何故そのような場面に出くわすのか・・・ 

それは、何食わぬ顔でダイエット番組を見あさっていたからです。

のちに知った事ですが、その番組を見ている私の食いつきっぷりは

尋常じゃなかったみたいです。

 

ある時母に「貴方もそうなんじゃない?」と笑われたことが

何回かありました。

私は「えーちがうよぉ」と笑って流したような気がしますが、

何回目かに「このままだとバレる」と思い

そこからテレビでダイエット情報を仕入れるのをやめ、

ipodで動画を見るようになりました。(携帯は高1から持ち始めました)

テレビ番組を見なくなったことで、母からの指摘はなくなりました。

 

これものちに知ったことですが、

母は、兄から私がダイエットをしているのではないか、と

指摘されていたらしいです。

ですが、母は「気のせいだろう」と思って流していたみたいです。

 

携帯端末によって

その人がどんな情報を見ているのか家族に伝わらないことは、

非常に危ないことなのだと思います。

勿論、その人個人のプライベートも大事ですが

家族が何に関心を持っていて、どういう考え方をしているのかは

食事の際や普段の日常生活の中である程度共有しておくほうが安心です。

 

4.とうとう拒食症だとバレてしまった

 

さて、ひた隠しにしてきた(つもりの)私が、

どうやって拒食症だとバレたのでしょうか。

 

バレた場所は、産婦人科です。

実は中1の秋から生理不順が続き、

冬休みをきっかけに1度も生理が来ておらず、放置していました。

母も

「そのくらいの年頃は身体ができあがってないから、

 生理不順がきてもおかしくないわ」

と、生理が止まったことを重く受け止めていませんでした。

(母も子供の頃、ひどい月経不順だっからです) 

 

さすがに中3になっても生理が来ないことに私が不安を抱き、

産婦人科へ行きたいと言いました。

そこで「じゃあ行きましょうか」と産婦人科に行くことになったのです。

 

中3の春に行った初診は、母も同行していました。(その後は私一人です)

初診の際には必ずと言っていいほど体重測定があります。

その際にたたき出した「42㎏」という数字が

その後の母親の、私を見る目を変えた気がします。

 

私がずっと産婦人科に行かなかった理由は、

副作用で「体重が増加することがある」と知ったからです。

ですが、私の場合は逆でした・・・。

 

皆さんは、月経周期ダイエットをご存じですか?

ホルモンバランスの影響で、

月経終わりの2週間はダイエットの効果が表れやすい、ということを。

私はその2週間を有効に使って、

停滞期だった自分の体重を更に減らすことを可能にしました。

 

生理がくるごとに、1㎏ほど痩せていった気がします。

 

そんな生活を送っていく一方で、

産婦人科にはきちんと通っていました。

体重測定は毎回あり、私は少しでも体重を重く見せようと

厚着をし、なんなら重そうなものをポケットに入れて測定していました。

(筋トレを兼ね、長袖の中で300gの重りを常に左右の腕につけていました)

 

ですが、その努力もむなしく、中3の秋に39㎏をたたき出しました。

私は「やってしまった・・・」と泣きそうになったことを覚えています。

「絶対にばれる」と。

 

やはり、お医者さんにも指摘されました。

「月経を起こして、こんなに体重が減少するのは異常だ」と。

何か色々質問された気がしますが、具体的な内容は覚えていません。

ですが、最終的には

産婦人科では対処しきれないので、大きい病院に移ってもらいます」

と言われました。

 

この後、どうやって母にこのことを知られたのか、

どういう経緯をたどって大きな病院へいく準備をしたのか、

何一つ思い出せません。 

 

中3の冬に差し掛かるころ

私は学校を休み、市民病院へ行きました。

そこで「拒食症です」と診断されたようです。

その場に私はいませんでした。話を聞いたのは母だけです。

 

5.母からの辛い言葉  

 

この夜、私は母に

「拒食症だったの・・・?

 なんで言わなかったの?自分で分かってたの?

 ご飯の量を減らしていたもんね。そういえば運動してたよね。

 いつから?どうやって?どうして・・・・・」

このように、一方的に質問攻めをされたことだけは覚えています。

その時、母は私に背を向けていました。

なので、母がどんな顔をして私に話しかけていたのかは分かりません。

 

ここから私は運動を制限され、

苦しくて辛い闘病生活を始めることになります。

 

---------------------------------------------------

 

3.まとめ

 

いかがでしたでしょうか?

私は、自分の過去を振り返って胸をえぐられました。汗

 

何より、母へ迷惑をかけた自分が情けないです。

 

このブログは、今現在拒食症で悩んでる方や

そのご家族にあてて書いているものですが、

私自身のためのものでもあります。

 

自分の過去を振り返り、これからの糧としていきたいと思い、

このブログを始めました。

 

今は思いをひたすらに綴っている感じなので、

話が分かり難かったり、文章がおかしいところがあるかもしれません。

 

ですが、

この記事が誰かの力になればと思って書き続けようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

今回は、私の自伝を主に書きました。

これからも、一つの症例として

私の闘病生活をお話していくつもりです。

私の家族がどのような決断をし、どうやって支えてくれたのか。

私がどういうきっかけで拒食症を克服しようと思ったのか。

拒食症の間、私が何を思っていたのか。

このような内容を、覚えている限り、何回かに分けて語っていきます。

 

 

今回もご愛読、有難うございました。