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私は現在大学2年生で、中学1年生から高校3年生まで拒食症に蝕まれていました。162cmのMAX55kgから36kgまで体重も落ち、生理も止まりました。周囲の人間に沢山の迷惑と心配をかけ、やっと回復することができたという経験をもとに、拒食症や健康について綴っていこうと思っています。

拒食症のサイン~病名を診断されるまで~

こんにちは、ほっこりんです🌸

私は中学1年生から高校3年生まで拒食症で悩んでいました。

このブログでは、私が拒食症になってから克服するまでの体験談と、

今現在行っている健康管理についてお話していこと思っています。

このブログが、現在拒食症で悩んでいる方や、

拒食症の子どもがいるご家族のお役に立てれば光栄です。

 

さて、前回は私がどのような方法で

ダイエットをしていったのかについてお話ししました。

 

sannkyo-dai.hatenablog.com

 

今回は、私がどうやって拒食症と診断されたのか、

その経緯についてお話していこうと思います。

 

私と同じような言動をしている方が身近にいたら、

拒食症のサインかもしれません。

その場合は、その方のためにも

手を差し伸べてあげて欲しいと思います。

なぜなら拒食症は、一人では直すことができないからです。

 

【目次】

1.私の経験から

  1.私には自覚症状がありました

  2.私がダイエットにのめり込んでいった理由

  3.私が拒食症だとバレるまで

  4.とうとう拒食症がバレてしまった

  5.母からの辛い言葉

2.まとめ

   

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1.私の経験から

 

1.私は自覚症状がありました。 

 

私は、もしかしたら特殊なケースだったかもしれません。

なぜなら、自身が拒食症であるという自覚がありました。

 

何故拒食症という自覚があったのか・・・

それは、小学校5年生のクラスメイトの中で、

過去に拒食症だったという子がいたからです。

確かにその子は克服こそしているものの、

身体の線が非常に細く、超がつくほど小食でした。

読者モデルもしていて、美人でもありリーダーシップもある・・・

私にとって理想の子でした。

 

その子に憧れを抱いていたことは事実ですが、

私が拒食症になったきっかけには関係なかったです。

ただ、そこで私は「拒食症」なるものを知りました。

 

そのため、中学1年生の2週間足らずで5㎏のダイエットをした時から

私は「拒食症かもしれない」と考えていました。

当時私はブログをやっていて、

その中でも「拒食症になったかもしれません」と投稿していました。

 

2.私がダイエットにのめり込んでいった理由 

 

以前もお話しした通り、身体だけは丈夫だった私は、

この機会を通して体の不調を訴えることで、

みんなに心配して欲しかったのだと思います。

 

自覚があってもどんどんダイエットにのめり込んでいったのも、

その投稿で多くの方に心配の声を頂き、味を占めたのだと思います。

「みんなが私を心配してくれている・・・!」

か弱い自分に酔いしれていたのだと、今ならわかります。

 

3.私が拒食症だとバレるまで 

 

自覚があったからこそ、周囲に隠しながらダイエットをしました。

ダイエットなんかしてないよ、という顔でダイエットをしていたのです(笑)

そのため、テレビ番組で拒食症やダイエットの話が取り上げられた時は

心臓がバクバクし、指摘されないかとひやひやしていた記憶があります。

 

何故そのような場面に出くわすのか・・・ 

それは、何食わぬ顔でダイエット番組を見あさっていたからです。

のちに知った事ですが、その番組を見ている私の食いつきっぷりは

尋常じゃなかったみたいです。

 

ある時母に「貴方もそうなんじゃない?」と笑われたことが

何回かありました。

私は「えーちがうよぉ」と笑って流したような気がしますが、

何回目かに「このままだとバレる」と思い

そこからテレビでダイエット情報を仕入れるのをやめ、

ipodで動画を見るようになりました。(携帯は高1から持ち始めました)

テレビ番組を見なくなったことで、母からの指摘はなくなりました。

 

これものちに知ったことですが、

母は、兄から私がダイエットをしているのではないか、と

指摘されていたらしいです。

ですが、母は「気のせいだろう」と思って流していたみたいです。

 

携帯端末によって

その人がどんな情報を見ているのか家族に伝わらないことは、

非常に危ないことなのだと思います。

勿論、その人個人のプライベートも大事ですが

家族が何に関心を持っていて、どういう考え方をしているのかは

食事の際や普段の日常生活の中である程度共有しておくほうが安心です。

 

4.とうとう拒食症だとバレてしまった

 

さて、ひた隠しにしてきた(つもりの)私が、

どうやって拒食症だとバレたのでしょうか。

 

バレた場所は、産婦人科です。

実は中1の秋から生理不順が続き、

冬休みをきっかけに1度も生理が来ておらず、放置していました。

母も

「そのくらいの年頃は身体ができあがってないから、

 生理不順がきてもおかしくないわ」

と、生理が止まったことを重く受け止めていませんでした。

(母も子供の頃、ひどい月経不順だっからです) 

 

さすがに中3になっても生理が来ないことに私が不安を抱き、

産婦人科へ行きたいと言いました。

そこで「じゃあ行きましょうか」と産婦人科に行くことになったのです。

 

中3の春に行った初診は、母も同行していました。(その後は私一人です)

初診の際には必ずと言っていいほど体重測定があります。

その際にたたき出した「42㎏」という数字が

その後の母親の、私を見る目を変えた気がします。

 

私がずっと産婦人科に行かなかった理由は、

副作用で「体重が増加することがある」と知ったからです。

ですが、私の場合は逆でした・・・。

 

皆さんは、月経周期ダイエットをご存じですか?

ホルモンバランスの影響で、

月経終わりの2週間はダイエットの効果が表れやすい、ということを。

私はその2週間を有効に使って、

停滞期だった自分の体重を更に減らすことを可能にしました。

 

生理がくるごとに、1㎏ほど痩せていった気がします。

 

そんな生活を送っていく一方で、

産婦人科にはきちんと通っていました。

体重測定は毎回あり、私は少しでも体重を重く見せようと

厚着をし、なんなら重そうなものをポケットに入れて測定していました。

(筋トレを兼ね、長袖の中で300gの重りを常に左右の腕につけていました)

 

ですが、その努力もむなしく、中3の秋に39㎏をたたき出しました。

私は「やってしまった・・・」と泣きそうになったことを覚えています。

「絶対にばれる」と。

 

やはり、お医者さんにも指摘されました。

「月経を起こして、こんなに体重が減少するのは異常だ」と。

何か色々質問された気がしますが、具体的な内容は覚えていません。

ですが、最終的には

産婦人科では対処しきれないので、大きい病院に移ってもらいます」

と言われました。

 

この後、どうやって母にこのことを知られたのか、

どういう経緯をたどって大きな病院へいく準備をしたのか、

何一つ思い出せません。 

 

中3の冬に差し掛かるころ

私は学校を休み、市民病院へ行きました。

そこで「拒食症です」と診断されたようです。

その場に私はいませんでした。話を聞いたのは母だけです。

 

5.母からの辛い言葉  

 

この夜、私は母に

「拒食症だったの・・・?

 なんで言わなかったの?自分で分かってたの?

 ご飯の量を減らしていたもんね。そういえば運動してたよね。

 いつから?どうやって?どうして・・・・・」

このように、一方的に質問攻めをされたことだけは覚えています。

その時、母は私に背を向けていました。

なので、母がどんな顔をして私に話しかけていたのかは分かりません。

 

ここから私は運動を制限され、

苦しくて辛い闘病生活を始めることになります。

 

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3.まとめ

 

いかがでしたでしょうか?

私は、自分の過去を振り返って胸をえぐられました。汗

 

何より、母へ迷惑をかけた自分が情けないです。

 

このブログは、今現在拒食症で悩んでる方や

そのご家族にあてて書いているものですが、

私自身のためのものでもあります。

 

自分の過去を振り返り、これからの糧としていきたいと思い、

このブログを始めました。

 

今は思いをひたすらに綴っている感じなので、

話が分かり難かったり、文章がおかしいところがあるかもしれません。

 

ですが、

この記事が誰かの力になればと思って書き続けようと思います。

 

 

 

 

 

 

 

今回は、私の自伝を主に書きました。

これからも、一つの症例として

私の闘病生活をお話していくつもりです。

私の家族がどのような決断をし、どうやって支えてくれたのか。

私がどういうきっかけで拒食症を克服しようと思ったのか。

拒食症の間、私が何を思っていたのか。

このような内容を、覚えている限り、何回かに分けて語っていきます。

 

 

今回もご愛読、有難うございました。